よくある話だけど「リスクを取らないリスク」を目の当たりにして人生に絶望しかけた今日

よく「リスクを取らないことがリスクだ」という言葉を聞きます。ともすればチープに聞こえがちで、特に重さを感じることもなかったのですが、恩人経営者がまさにこの状態に陥っていたので、備忘録として、自分への戒めとして書き残しておこうと思います。

その恩人は、2年前にとある予防的手術をして、その後遺症でどんどん体調が悪化。周りにいる悪い人たちに身ぐるみはがされて、今日お会いした時の相談事はまさかの「会社を畳んで、障碍者年金をもらいながらまずは生活を立て直すべきと弁護士に言われた」という内容でした。

他人は何とか…してくれない

悪口みたいになってしまうかもしれませんが、その方は非常に依存心が強く、常に「誰に相談したら何とかしてくれるか」ということを尋ねてきます。「いや、誰も何もしてくれない…というかあなたしか解決できない問題なんだから、自分で立ち上がりましょうよ」と促しても「でも…」みたいな感じで、よくもまぁ起業したもんだなと思ったものです。

金の切れ目が縁の切れ目とはよく言ったもので、その人の手元からお金が無くなると、まさに蜘蛛の子を散らすように友人たちは去っていきました。今では僕含めて2~3名しか会える人はいないようです。そして、僕も話を聞くくらいしかできません。他人はやはり他人でしかない。健康であろうとそうでなかろうと、苦しくても辛くても逃げ出したくても、いつかは自分で立ち上がって歩まないとどうしようもないんだなと強く感じます。

放置しておくと状況はどんどん悪化していく

その方とは定期的、だいたい週に1回くらいお会いするんですが、決断と行動を全くしない方なので、アップデートは「悪化した出来事」ばかりなんですね。

周りがいくらおせっかいを焼いても、どうしても本人にしか動かせない出来事、というものがあります。そうなると、見守るしかないんですが、いくら見守ってもその方は行動しない。行動しないでいると、周りはみんな行動しますから、相対的に自分の立場がどんどん弱く、悪くなっていく。

「機が熟す」ということもあり、待つことが重要な物事も相当数ありますが、マイナスが差し迫っているときは毎日一歩ずつでもいいから前進することが重要だなと思い知らされます。

対峙すること、戦うことに怯まない

世界はゼロサムではなく、プラスサムの世界だと僕は信じていますが、局所的・短期的にはマイナスサムやゼロサムのシーンがあります。そんな時、相手と対峙すること、戦うことに怯んで逃げ回っていると、相手が勝ちます。なぜなら、常に相手は強く、賢く、行動力があるからです。

そんな相手と対峙することは、本当に消耗しますよね…僕は元来争いごとがかなり苦手な人間なので、対峙どころか対話からも逃げ出したくなります。喧嘩みたいな話し合いは本当に、一度で心が砕け散ります。昔から「豆腐メンタル」と言われたもんです。

それでも、ここぞという、逃げてはいけないシーンとタイミングがあるなーとつくづく思うのです。

リスクヘッジは年齢も、今の資産状況も関係ない、取り組むべき

その方は、いわゆる引退する、定年するような年齢まではまだ10年以上あるような、働き盛りです。それでも、予防的な手術、つまりはどこかが悪いとか、病気やけがをしたわけではない手術で、人生をまさに180度変えられてしまうような出来事が起こってしまいました。

同じようなことは、明日の、いや、1時間後の僕に起こる可能性すらあります。じゃあ生命保険を、医療保険を掛けろ、という話では全くないのですが、年齢や、今会社がうまくいってるかどうかというのは、10年後や20年後に健康で幸せかどうかとは、まったく関連のないケースもあるんだなと。

今回の話に登場した方は、今の症状になられておよそ2年。ほぼ毎週、合計100回くらいはお会いしていますが、「半年で快復する」と医者に言われて、結局変わらないままでした。どうすることもできない自分が歯がゆいし、すぐ近くで見ていて恐怖も感じます。僕らはみんな、とんでもない薄氷の上を、今日もぎりぎり何とか渡り切っている。本当にそんな日々の連続なんだろうな。あなたは明日も、10年後もその氷の上を無事渡り切れる自信がありますか?僕は相当怖いなと毎日思ってます。