起業したての頃から会社が大きくなっても、常に問題となるのは「人間関係」です。経営の目的は社会貢献や利益の創出であることは間違いない一方、その実現のための最大の障壁は良くも悪くも「人」でしょう。どんな規模、どんなビジネスでも多くの場合、経営者は人で悩むことになります。人の問題が解決できれば、逆にビジネスの問題も大半は片付いたと言えるかもしれません。
「組織作り」の基礎は評価である
人間関係が問題になるのならば、みんながみんな仲良い状態になればよいと思われるかもしれませんが、ビジネスにおいてはそれは必ずしも最適ではないでしょう。なぜなら、チームの仲が良いこと以上に、人は評価を通じてその組織にどの程度必要とされているか、を感じ取るからです。
適切な評価が実施されることの効果性に関して,①動機づけや適正理解-の影響,②管理職のリーダーシップへの影響,③組織コミットメント-の影響を挙げている。360度フィードバ ックを用いた人事評価のフィードバ ックは,自己への気づきを促し,適切な行動改善をもたらすと提唱している。(一部編集)
人材育成に関する人事評価についての理論的考察
https://core.ac.uk/download/pdf/12527539.pdf
組織とは結局どこまで行っても「個」の集合体に過ぎません。個の連携度合いや方法が異なるため、組織論はそれぞれあるわけですが、基本的に「個」が最大化されることが組織作りに必須です。適切な評価が実施されると、個は組織をより適切に理解し、モチベーションが上がり、より仕事にフォーカスし、さらに自己改善する能動的な行動を取ります。
評価制度を作ることの難しさ
とはいえ、「適切な評価」というのは非常に難しく、まず100点の評価ができている組織はありません。ベストは存在せず、ベターのより上のほうを目指す、という視点で取り組むしかありません。
「答えがある」というのは虚構で、先述のように、個はビジネスによって適切な連携度合いや方法が異なります。例えばそれは、サッカーと野球で「チームワーク」の概念が異なるのと同じようなものです。そのため、絶対的な答えはなく、流動的な仮説を積み上げていくしかありません。
最近はコンサルティングやIT、スタートアップ業界で「グレード制」という評価制度が多く用いられています。これはこれで一定の効力があり、説得力があり、かなり汎用性の高いフレームワークだと思います。うちの会社でも基本はグレード制を用いて人事評価をしています。
評価制度の構築は「会社の目標」に立ち戻ること
チームは基本的には会社のために存在しており、会社はその存在意義のため、つまりはビジョンのために存在しています(トートロジー的ですが)。僕個人の考え方では、会社は株主の利益のために存在している、なんてことははっきり言ってお門違いも良いところです。会社はビジョン実現のために存在しており、結果、手段を最適化するための1つが「株主価値還元である」という理解です。
つまり会社にとって最重要なのは株主に利益を還元することではなく、ビジョンを実現することに他なりません(利益の還元はその過程で行われるにすぎません)。
自分たちのビジョンを問い直すことが、チームを作る、評価制度を作る第一歩になるわけです。
「公平な評価」はギスギスさを組織から取り除く
公平な評価をすると、組織が競争でギスギスするのではないか、日本の会社に合わないのではないか、という人がいますが、逆です。むしろ、不公平な評価がまかり通っている組織のほうが、人の行動は悪い意味で政治的になり、お互いを信頼しなくなり、ギスギスします。
一方で、公平な評価はだれの目からも明らかで、政治的な動きとは正反対に人が動きます。つまり、まず個別最適化として「個」が最大化され、続いて全体最適化として「組織」が最適化される評価制度が構築、運用できれば、野球選手はバッティング等個人のプレーと、守備の連係の練習に集中できるわけです。
とはいえ今述べたことは理想論であり、かなり抽象的な総論であって、具体的な解決策にはつながっていないことにも注意が必要です。それくらい、組織の評価制度を作ることは難しい。特に小さな規模の組織の場合は、代表が評価のすべてを担うことになりがちで、そこに公平性も客観性も欠けていることがほとんどかと思います。それでは組織は成長しません。「小さな組織だから評価制度がなくてもよい」と考えるのは間違いで、「小さな組織であっても成長する必然性」を持っていなければいけません。「小さな組織だから」で許されることが多いと、その組織は成長していくことは構造的にできないはずです。
ですから、起業したばかりの小さい会社の社長こそ、自社のビジョン、そしてその実現のためにはどんな人がどんなコミットをしてくれることが必要なのかを考える。そしてそれを評価制度に落とし込む必要がある。というとりとめのない話でした。