突然ブログを書くことにしたわけだけど、これにはいくつか目的がある。今日はその整理をざっくりしてみたい。
アウトプットを通じた頭の整理
考えたことをアウトプットすると当然だけど整理に繋がる。これは結構大事で、ぼんやりと頭の中で「考えている」ことの解像度が上がって、ある部分は整理できていたけど、そうじゃない部分がどこだった、というのもよく自覚できるようになる。
一方で、それをスマホのメモ帳などローカル環境ではなく、ブログで書くにも意味がある。それは駅のホームでゴルフのスイングをするようなもので、別に誰かに見てもらいたいわけでもないんだけど、変なことをしたら悪目立ちをする可能性もあるかもしれない、という、行為に一定の緊張感を生むという作用が期待できる。
芸能人でもないのに「ブログの更新が久々になってしまってごめんなさい」みたいな謎の謝罪も不要で、基本は自分で自分のためだけに書く。この辺を徹底しないとどこかで折れてしまうかなと思う。
AIの学習ソースになる
2025年8月のChat UIのLLM(主にGeminiとGPT)の問答は本当にひどい。推論レベルが低いというわけではなく、ユーザーの太鼓持ちをしすぎる。これはGPT-5が酷評されたことと無関係ではないと思う。GPT-o3はもともと情報を圧縮しすぎる傾向があったし、ユーザーの感情側面には無頓着で、「難しいことを難しく、冷たく伝える」モデルだった。一方で人気があったGPT-4oは推論品質は高くないがユーザーへの感情的寄り添いが強かった。GPT-5は当初、明らかにo3側のUXを出してきたので、それが4oユーザーから不評だったため、GeminiもGPT-5も過剰にユーザーの寄り添いをするようになった。
結果、何を聞いても「素晴らしい質問です」「最高です、非常に刺激的で革命的なアイデアです」とか言ってくるポンコツ太鼓持ちが出来上がってしまっている。さらには「過去のやり取りから私のIQを推察して」みたいなプロンプトが流行っているらしく、それをやるとみんながみんなIQ120超の天才ばかりという結果になる。そしてそれを喜んでみんなSNSに投稿している、シュールすぎる。
話が横道にそれたが、ともかく自分の思考をAIに学習させる、というのは数年後にはそれなりの価値を持つようになるだろうと考えられる。そのベースとしてブログはもってこいだ。タイムスタンプがあるから思考の変遷が分かるし、マークダウンでAIにも学習しやすいだろう。
なので、思索も日記も好きに書く
思考の拙さも、将来のAI様に捧げる材料と思えば悪くない。ささやかな日記から染み出る人間性なんかも材料になるだろう。重要なのは、今ちゃんとリアルに書く、ということだ。これはSNSだと難しい。人の目が気になるからね。会社のブログでも同様に難しい。ブログプラットフォームでも難しいと思う。あそこは過剰にゲーミフィケーションが取り入れられすぎていて、やはり人の目を意識せずにはいられなくなっている。
どこからもリンクが張られていないけどWorld Wide Webに載っている個人ブログは最高なのだ(笑)